回想

あー、やっと明日休みだ。
次の日仕事があろうとなかろうと夜更かししてるけど、やっぱり気分的に違います。
そんなわけで、今週つらつらと思い返していたことをゆっくりじっくり。


いつも有難く読ませていただいているリコシェさんのブログ。
「読む」うしみつトワイライトです。
http://blog.livedoor.jp/ricochet928/tb.cgi/27159017
7/3放送分が早速アップされていて「わーいわーい」と読んでいました。
その中で、

この番組を始めた頃は、まだファーストミニアルバムですよね。ファーストミニアルバムを出した頃で、まだライブハウスでお客さんがね、10人20人とか、いるかいないかとか、そんな感じだったですよね。それが、2年で、とりあえず、テレビに出れるようになったというか。早かったような、あっという間だったような。でも長かったような。まあ順調にきてるなっていう感じですね。自分の中ではね。うん。一つ一つ着実にきてるなとね。

というくだりがありまして。この発言にちょっとビックリ。
裕ちゃんの言う「この番組を始めた頃」、2003年の10月ですね。私は東京に住んでいました。
だからうしみつトワイライトも毎週ではないにしろ聞いていたし
ライブ(いや、この頃は演舞か)にも11月に入ってから2回行きました。
でも、お客さん10人とか20人しかいなかったかなぁ…と。
もちろんワンマンではないので他のバンド目当てで来てるお客さんもいるので椿屋目当てで、という人数はわからないですけど。
その頃すでに椿屋は結構人気あるバンドだ、と自分では思っていたので…
だって、新宿の某外資系CDショップでは面陳して試聴機にも入ってたよ?
だって、深夜のラジオとはいえレギュラー番組を持っていたんだよ?
あー、でも「椿屋四重奏?ちょっと見てみるかしらねぇ?」な雰囲気だったかも…2回目に見た秋葉原GOODMAN…(何か思い出してきた)


そうかー、そんなもんだったかなぁ(単純)
とすると私は本当に幸運だった。
ギリギリその時に居合わすことができた。間に合った。
ミニアルバムの出るタイミングがもう1ヶ月遅かったら、
私の退職時期がもう1ヶ月早くなっていたら、
この時期の椿屋四重奏を見られなかった。
もっと言えば、
ゼペットのライブで貰ったチラシを捨てていたら(正確には気になって捨てられなかったんだけど)、
あの店に試聴機が置いてなかったら、
椿屋四重奏というバンドに出会うこともできなかった。
わー…



今、愛知に住んでいて東京を羨むことも多々あるのです、正直なところ。
「東京に戻りてー」としょっちゅう心の中で叫んでます。
だけどまぁ、いいかなと。
2003年8月27日に「椿屋四重奏」が世に出てそれに遅れること約半月。
試聴機の前で受けたあの衝撃も、うちに帰ってドキドキしながらCDをプレイヤーにセットしたあの気持ちも、全部今に繋がっている。
初めて演舞を見た時に思わず笑ってしまったことも、でもこの人たち絶対にいい!と思えたから実家に戻る前の日に秋葉原まで(小岩に住んでたので近かったけど)行ったことも、その日の夜中にうしみつでメールが読まれて(しかも演舞初参加の感想と実家に戻ります、っていう内容だった)ちょっと泣いたことも
これから先、椿屋が一歩一歩階段を昇って行く度にまたつらつら思い返すのでしょう。
「ああ、そうだ。何年か前あんなことがあったなぁ」と。
これはすごい宝だ。大事にしよう。そう、思いました。



でも、作務衣時代は知らないし「一刹那」も「みことすがら」も聞いたことない。
まだまだ深いぞ、椿屋四重奏