中野から帰ってきて

中野から帰ってきた元旦の夜、ベッドに潜り込んでライブで聴いた曲をぽつぽつと聞き返していました。

で、「風の何処へ」の


夕陽に尽きた 小さな空は 

俺に気付いているのか

の部分で急にわーっと感情が揺さぶられてしまったんですよね。ライブの時は自分でも意外なほどに冷静だったのに。


椿屋四重奏」を聴いて時々感傷的な気分になってしまうのは、それはもう完全に個人的な理由なのですが、東京で働いていた頃のことを思い出すからなんですよね。
そしてそれはそのまま椿屋四重奏と出会った時期とも重なるわけです。
ミニアルバムを買ったのは、退職するかどうかを最終的に決断しようとしていたタイミングだったと記憶しているのですが、その時の決断に実は未だ確信が持てていなかったりします。3年も経ってるのにいい加減未練がましいと自分でも呆れてしまうのですが…
あの会社であのまま働き続けることは無理だったと思うけれど、でもそこで知り合った友人達とはもっと一緒にいたかったなぁ…とか
今こうして実家に戻ってきてとても楽だけれど、でも東京にいた頃の方が毎日に張り合いがあった…とか
転職先を東京で探そうとしないで、なんでこうもあっさり帰ってきてしまったんだろう…とか
ごにゃごにゃと考え出してしまうとキリが無い。
私はそんな曖昧な気持ちのまま3年という時間を過してしまったのに、その間に椿屋はどんどん大きくなっていって、遂にメジャーに行くんだなぁ、自分たちが望む場所へ進んでいくんだなぁ、とか思ったら自分が不甲斐なくて泣けてきました(そっちか)
…もちろん、そんなごく私的なことばかりを思ったわけではないですよ。

ずっと「売れたい、有名になりたい」と言ってきて、そして遂にメジャーに行くことになったわけで、それは「自分達に相応しい場所で戦う」という中田くんの言葉そのままの一面ももちろんあるけれども、その一方で、そうだからこそ、もう言い訳はできなくなりますよね。舞台は整った、あとは自分達がどう振舞うか。そこに全てがかかってくる。
そういう意味では、また更に厳しいところへ自分達を追い込んでいった4人の決断に心からの拍手と声援を送りたい気持ちでいっぱいです。

…さて私はどうするか。もう27歳だ。

…話を戻します。
ライブ全体を通して感じたことは、
ホールで演ることが既に特別なことではなくなっているなぁ…ということです。
ガラガラの中野サンプラザをあれだけ濃密な空気で埋め尽くした4人の姿はとても堂々としたものでした。
そして、九段会館野音(もホールでいいのかな?)の頃には露骨に出ていた「ホールで演る」ということに対する気負いや焦りが全く感じられませんでした。
この1年半にあった2回のツアーやその他の様々なできごとが椿屋四重奏を「ホールに憧れる」バンドから「ホールが似合う」バンドに成長させたのだろうなぁ、としみじみ感じました。

最後にもう一つ、ライブの最後に演奏した「君無しじゃいられない」のこの部分の歌詞、


ああ君よ いつも晴れない僕の空に

沈まぬ陽と虹の絵を書き足しておくれよ

…これは「ナカノ・サンライズ」という名のライブを締めるのには最適な曲だよなぁ(笑)