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ファイナルの仙台に行けなかったからというわけではないのだけれど、なぜかツアーが終わったという実感がないまま時間が経ってしまいました。そんな気分にようやく区切りをつけてくれたのが14日の早朝に更新されたKIRISAME DIARYでした。

そして全国の君たちへ。
ツアーは終わりました。
でも終わりは始まりです。
始める為に終わるんです。
ここから椿屋四重奏は次のステージへ出発します。
まだまだこんなもんじゃねえぞ。しっかりつかまってろよ。

とにかく愛してます。ありがとう。


ツアーは終わりました、という単純極まりない一言でツアーの終りをしっかりと実感させられると同時に心の中にもやもやもや〜っと広がってくるものがありました。それは「ここ最近、椿屋を本当に信じていたのかな?」という何ともネガティブな疑問でした。
ZEPP TOKYOで中田くんが「椿屋を信じていていいから」といった意味合いの発言をした時には確かに「なーに言ってんだよ。信じてなかったらとっくに離れて行ってるって」なんて思ったりもしたのですが、でもそれって上っ面だけの思いじゃなかったのかな?と。信じてるよ、大好きだ、と言うのは簡単だけど簡単だからこそ心を込めないで言ってしまっていたんじゃないのかな?と。そんなことをぐるぐる考え出してしまったら、うわぁぁぁぁとなってきたので続きは久々に追記へ。

このツアーが良いものになりそうだ、という予感は初日の下北沢…もっと言えば前哨戦の代々木からビシビシと伝わってきていたのですが、個人的にどうしてもしっくりこない曲が1曲だけありました。それはアルバムを聴いた時点ではベスト3にも入れていた「ジャーニー」で、ライブで聴いたらどんなに素晴らしいだろうかと期待していたのに、実際ライブで聴くと「んん?こんな曲だっけ?」となってしまったのです。ライブでの「ジャーニー」は力強く前に進んでいく印象の曲になっていたのですが、私がアルバムを聴いて感じていた印象は今までの歩みを振り返って次へ続く道を見据えている、というものでした。だから意外な力強さに戸惑ってしまって、大好きな曲なのにライブ中にぽかーんとしてしまいました。それは下北沢・名古屋ともに強く違和感としてあったのでZEPP TOKYOではどうなるかなと不安だったのですが、多少はその違和感が薄らいだように思いました。
それが何故かと考えてみるとこの日の中田くんの発言に影響されていた部分がかなりあったのだろうなぁ、と思います。特に、ZEPPは無謀だと言われたけれどソールドアウトにするためにやったんじゃない、というライブ序盤での発言が結構大きかったような気がします。実際、ツアーの日程を見た時にZEPP TOKYOなんて無茶だと思ったし、当日までどれだけ埋まっているかをひたすら心配していました。何でこんな無茶な背伸びをしてしまうんだろう…と。もしくは、ZEPP TOKYOを埋められるつもりでいたんだとしたらがっかりしてしまうだろうな…と。だけど中田くんの思いは別のところにあったわけで。…あー、もう本当に何もわかってないバカなファンですみませんでした!と土下座して謝りたいくらいです。
正直なところ、中田くんが以前ほどにはがむしゃらじゃなくなっているように見えていて、だから「不時着」も諦めとか妥協の曲だと感じていた部分が少なからずありました。アルバム発売時点でインディーズデビューから4年半、メジャー移籍から1年。決して知名度が高いとは言えず、ツアーでもソールドアウトになる会場とそうでない会場があるような状況にいい加減うんざりしてしまったんじゃないか…なんて勝手に思ってしまっていたけれど、全然そんなことはなかったんだなぁ。うんざりしてたのは私だけじゃないか!と再び土下座して地面に額を擦りつけて謝りたい気分です。ああ、もう自分がバカすぎて嫌だ。
だけど、自分でも表向きは椿屋を信じていると思っていたし大好きだと思っていた。確かにそれは本当で見限ったり嫌いになったわけではなかったのだけど、それでもやっぱり数年前のような熱い思いはなくなってしまっていたかもしれない。どうにかして1本でも多くライブを見られないだろうかとあれこれ画策したり、どうにも駄目だと泣いたりするような思いは。それを私は自分が遅ればせながら大人になって落ち着いてきたからだと思いこんでいたけれど、どうもそういうわけでもなかったようで…ということを今年の春に9mmのライブを見て頭をぶん殴られるような衝撃を受けて気づいてしまったのですね。まだまだ私は落ち着いてなんかいないし、ガキなんだ、と。行きたいライブのチケットが取れなくて涙目になったり、それでも諦めがつかなくてmixiでライブ当日までチケットを探したりしてた。まだそういうことにエネルギーを費やす気力があるのに、どうして椿屋に対しては落ち着いてしまったんだろう、なんてことも考えない程に9mmの勢いと熱に溺れていました。
でも椿屋のライブにも行くんですよ。好きだから。それで名古屋でもやっぱり「ジャーニー」に違和感を覚えながらもまぁいいライブだったよね!なんて満足したりなんかしてZEPP TOKYOのライブ当日になるわけです。
全部がひっくり返った。「不時着」の解釈も「ジャーニー」の印象も。中田くんは何も諦めてなんかいなかったし、熱い思いは今も変わらず持っていた。ただ、その表現の仕方が以前のようなわかりやすいものではなくなって、胸の奥でひっそりと燃える炎のようなものになっていただけだった。でもさ、内に秘めたる情熱のほうがその温度は高いんだよね。自分の内側でふつふつと燃えている炎の熱はどこにも逃げることなく貯まっていくから。それがいつか突破口を見つけた時には恐ろしいほどに大きな火焔となって燃え上がっていくんだろう。今はそのための準備期間、いや助走期間なんだと無理矢理でも意地になってでもなく、そう思えました。このままじゃ終わらせない、という中田くんの言葉をそのまま受けとめようと思いました。



今までの約5年間で中田くんは何度も今回のKIRISAMEと同じようなことを言ってきているのだけど、そしてだからこそ私はちょっとその言葉をまっすぐに受け止められなくなっていたのだけど、でも今度はまた椿屋を知った当初のような真っ直ぐな気持ちでその言葉を受け止めて盲目なファンになれそうな気がしています。だけどまぁ、私ももう若くはないですから、物事を斜めから見ずにはいられないこともあるのでその辺はご容赦を。
ダラダラとまとまりなく書いてしまいましたが、このもやもやを吐き出さないと次へ進めないような気がして仕方がなかったもので。数年前のような狂おしいほどの思いとともに、8月3日は仙台に行ってきます。今この瞬間の椿屋をもっと、見たいんだ。