2週間経った

困ったことになっている。
椿屋四重奏が解散を発表してから2週間、哀しくて寂しくて仕方がないのだ。
今さら。本当に今さらだけど。


解散発表の直後にやけにあっさりとした気持ちで「ありがとう、バイバーイ!」なんて書いていた、あの気持ちも決して強がりや嘘ではなかったのだ。だけど、そこがゴールではなかった。それが結論ではなかった。ただそれだけのことなのに、こんなにも気持ちが揺さぶられて、正直辛い。


何が転換点となったのか、思い当たることはいくつかある。
日曜日に手島さんのライブを見たこと、アンドリューラストライブのDVDを見たこと、そしてたかしげが新たな顔を見せてくれたこと。それ自体は哀しくもなければ辛くなるようなことでもないのに、結果として今、哀しくて寂しいのだ。


椿屋四重奏は長い付き合いの友人のようだ、と書いた。とすれば、手島さんは友達の友達といったところの存在なわけで。いずれは直接の友達になれるかな…というタイミングで間に立っていた共通の友人がふいと姿を消してしまった。
だけど今さら赤の他人にも戻れなくて、一人で会いに行ってみたら、これまで見たことのない顔して笑って喋っている「友達の友達」がいたような、そんな状況。その場はその場で楽しいんだけど、そこには共通の友人の気配すら感じられなくて、それはその場では当たり前のことなんだけど、でもそれが寂しく感じられてしまう、そんな我儘。友達の友達には、ちゃんと別の世界があった。それを思い知らされてしまった。初めてを楽しいと感じたその裏側で。


仙台サンライズの後、最高に満たされた気持ちになりながらも心に引っかかることがあった。何故か去年の春に見たあるライブと似たものを感じてしまったのだ。Fox loco phantomの元ドラマー、アンドリューのラストライブで感じた「やりきった感」と非常に似たものを感じてしまったのだ。アンドリューはそのライブを最後にドラマーとしての人生を終わりにした。そんな彼を送り出すそのライブは本当に素晴らしくて、変に感傷的になることもなくて、いつも通り、いつも以上の熱と勢いに満ちたライブだった。それと似ている、そう思ってしまったことに戸惑っていた。椿屋からは誰も脱退しないし、音楽から離れる人だっていない、そう思っていたかったから。中野サンプラザで中田くんがたかしげに抱き付いた理由を考える時にも同じ戸惑いがついて回った。そんなわけない、そうする理由もないし、と思考を中断することで戸惑いを断ち切っていた。
でも、たかしげは音楽から離れることを決意していた。仙台サンライズが最後のライブだった。しかもたかしげにとっての最後であるだけではなくて、椿屋四重奏としても最後のライブだった。
戸惑いが現実になった、その驚きと「ああ、だからか」という哀しい理解を、まざまざと思い出してしまったのだ。去年見た、あの最高のライブを画面越しに再体験して。


更にタイミング悪く(と言ってしまうけど)たかしげが新たな顔を見せてくれていた。見慣れた長髪と髭のない、スッキリとした顔を。たかしげだけど、たかしげじゃない。反射的にそう感じてしまって、気が付いたらボロボロと泣いていた。若く見えるなぁ、可愛らしいなぁなんてニヤニヤしながら泣いていた。


中田くんだけが未だに「その後」の姿を見せていないことも、もちろん寂しさの一因にはなっている。だけどまだたったの2週間だ。むしろたかしげやりょうちんのフットワークの軽さを驚くべきなんだろう。でも、と思ってしまった。そう思ってしまったが最後、まるで数年前のように中田くんのことが心配で不安で堪らなくなってしまった。10年間の全てをかけていたバンドを終わらせた今、何を思ってどう過ごしているのか。考えたってわかるわけないし、わかったからってどうなるものでもない。そうわかっているのに止められなかった。「ドSゆうじの最後の悪だくみ」だ、とバカバカしい結論をとりあえずでっち上げるまでは。


だけど、それも所詮は気休めに過ぎなくて、私は今、とても哀しくて寂しいのだ。
椿屋四重奏が解散してしまったことは受け入れている。だけど、哀しい。哀しくて、寂しい。


2週間も経ってからこんな気持ちになるなんて思ってもみなかった。2週間前の妙な冷静さが今となっては恨めしい。


だけどこれもまた、本当の気持ちなのだ。
友人に突然去られてからしばらく経って、やっとその不在が呼び起こす哀しさと寂しさに直面しているのだ。
「バイバイ」と書かれたメモを読み返して、もう二度とその友人には会えないことを思い知らされているのだ。


…どこに、行っちゃったのかな。


今はそんな風に思っている。それを何処かに記録しておきたくてここに書いている。今さら、と思いながら書いている。