31歳になりました

…数日前に。

30歳の1年間が何だかやたらと凄い1年間だったので、ここからの1年間は平穏であることを切望しますが、まぁそうはいかないでしょうね(苦笑)


さて、そんな30歳を終えて31歳に辿り着いた今の私が何を思うのか、32歳になる頃の自分のために書き残しておきます。


上司の退職、椿屋の解散、FOXの活動休止、そして東日本大震災
この4つが30歳の1年間での大きな出来事。
個人的なことから歴史的な出来事までごちゃ混ぜですが、そこは敢えて無視する方向で。


上司が退職して、その後の人員補充がないということで年明けからの仕事が不安でならなかったのですが、3月頃まではまだ余裕がありました。今思うとそれも不思議な話なんですが。
状況が変わってきたのが4〜5月。決算はさすがにキツかった(苦笑)そこをようやく乗り切ったところでまた別件のあれやこれやがあったりして、まだまだ結構大変です。
しかも今後もまだ何かありそうな予感…杞憂に終わればいいんですが。

単純な業務量の増加ということもありますが、会社の根幹に関わるような仕事を私ごときがやってていいのか?という不安が常につきまとっている。でもやるしかない。
今欲しいのは知識と覚悟。経験は時間に任せるしかないから、まずは知識、そしてこの仕事をやっていくという覚悟。


椿屋の解散は…正直なところ今もまだ気持ちの整理がついていない。発表直後はやけに冷静だったのに、時間が経った今の方が辛いってどういうことなんだろうね。完全に日常の一部になっちゃってたからなぁ。ぽっかり空いた穴を埋める何かはまだ見つからないし、見つかるとも思えない。

来年の今ごろには中田くんのソロ活動に心底ワクワクできているといいな。


そしてFOXの活動休止。クアトロでのライブを見た後は解散だとしか思えなかった。ステージ上のヨダロックを見ることももうないんだろうなという悲しい予感に捕らわれていた。
だけど…どうなんだろうね。少し希望が見えたような、そんな未来は待っていないような。わからないね。
でも、待っていようと思える。先日ヒデヲさんがブログに載せてくれた写真を見たら、ヨダロックが全然変わってなくて(もちろん髪型とか表情とかは違うけど)泣きながら笑ってしまった。


この2つが年明け早々立て続けに来たので「前厄怖っ!」なんて思っていたのだけど、それどころではない事態になった。それも日本全体が。

地震のあった時、私はビルの13階にある会社で自席に座っていた。今まで体験したことのない揺れが収まった後、時間が経つにつれて東北の状況が少しずつわかってきた。何度か足を運んだ仙台(空港に行ったことはないけど)が大変なことになっている。それがとにかく辛かった。思い浮かべることのできる風景がいくつもあるから、増してや椿屋の最初と最後を見届けてくれたその街だったから。更に九段会館でも大きな被害が出ているとのニュースを目にして、あの状況で不謹慎というか呑気だとは思ったけど「椿屋の思い出の場所がなくなる!」という思いが何よりも強かった。解散発表からちょうど2ヶ月の日だったし。

でもそんな感傷に浸っていられたのも少しの間だけで、繋がらない電話や動かない電車に非常時を実感させられ、新たな情報が入ってくる度に更なる不安をかき立てられた。
幸いにも私が利用している路線は復旧が早くて、その日のうちに帰宅できた。でもその日は眠れなかった。一晩中ニュースを見ながら余震に怯えていた。布団の中で。いつもの部屋の中で。

結局のところ、東京で暮らす私は当事者ではなくて、と言って具体的、実際的な支援ができるわけでもなくて、そのことで無力感を感じたりもしたし、今もまだどうすべきかわからないままだけど、でも諦めちゃダメなんだろうな。仙台の七夕まつりを見に行って感じたのは、想像を遥かに超える東北の力強さ。絶対に立ち直ってみせる、負けないぞという気迫。だから東京にいる私たちが諦めちゃダメなんだ、絶対に。


…と色々あった30歳ですが、さぁ31歳。
何だかここ最近は今までにないような方向に頭をグルグルさせたりしてて、これはもしかして人生の分岐点!?なんて思ったりもするけど、多分ただの妄想で終わるだろうからタチが悪い(笑)何だかんだで考え過ぎなんだな、いつもこれからも。

ひとまずこの1年は仕事に打ち込んでみようかと。目の前にある仕事と、その先に続く仕事の両方を見据えて、5年後10年後の自分に何かを残せるように。ここが頑張り時だ、きっと。


完全にまとまらなくなってしまったけど、これが31歳になった私の思うこと。