厄除けしてみた

わたくし、昭和55年生まれです。平成23年が前厄とやらに当たる年だそうで。色々と物騒な話も聞く厄年。まだまだ他人事だと思っていたら、もうすぐそこまで迫っていたのです。奴は。いえ、厄は。
去年が平穏無事な365日であったならば、大して気にも留めなかったでしょう。気に留めたところで「じゃあとりあえず初詣行って、厄除けのお守りでも買っておくかねー」で済ませていたでしょう。しかし、昨年(特に後半)のゴタゴタっぷりが個人的にはかなり堪えておりまして、前厄でもない年でああなるなら前厄・本厄・後厄どうなっちゃうのよ!?と不安に駆られたりして。


で、行ってきました。厄除け祈願。


あれこれ調べてみたら、何が違うのかわからないのに祈祷料が倍する神社があったり、関東といえども遠かったりして、そもそも東京が地元でない私からしたら正直どこでもいいわけです。毎年行ってる神社があるわけでもないし。そんなこんなで結局決めたのが赤坂にある豊川稲荷。ええ、もう単純に愛知県出身なので、豊川稲荷という名前に馴染みがあるからです。行ったことはないけど。


通常の参拝は境内から歩道まで列が続いていましたが、祈祷の受け付けはスムーズ。記入例を見て書いて、お金(5,000円)と一緒に受付のおじ様に差し出したら「あ、厄除けね。じゃあ待合所へどうぞー」と初心者には厳しい素っ気ない対応。

待合所ってどこだよ!

…あ、あった(すぐ横に大きな看板が出てました)


靴を脱いで中に入ると、皆さん座ってお茶なんて飲みながら待っている様子。喩えがおかしいのは承知の上で喩えるけど、斎場の待合室みたいなごっちゃりした雰囲気。老若男女(老多め)入り乱れてごっちゃり。端っこが空いてたのでそこに荷物をおろしたり上着を脱いだりしていたらお兄さんがお茶とお茶菓子を持ってきてくれました。お庭を見ながらもそもそ飲んだり食べたり。どうやら時間になると名前を呼ばれるらしいことがわかったので、暇つぶしに本を読む。一人で来ている人はほとんど見当たらず、ほとんどが家族連れで来ている感じでした。…みんな凄いな、うちの家族そんなことしたことないぞ。


2回目の呼び出しで名前を呼ばれたので本殿(?)へ移動。特に案内の人がいるわけでもないので他の人たちについていく。寒い廊下(外ではないけど寒かった)でちょっと待たされてようやく中へ。
正直なところ、何を言ってるのか、何をしているのかはわかりませんでした。両脇に鎮座する狐様に「そうか稲荷…」と今さらなことを思ったり、お花を奉納していた会社の名前に見覚えがあったので他にも何かないかと視線をキョロキョロさせたり、坊主のビートと独特の雰囲気にトリップしそうになったりもしましたが、各々の名前の読み上げが始まったあたりで現実に引き戻されました。

…え、まだ更にお賽銭いるの?

どうやら名前を読み上げられた人から前に移動してお賽銭を投げて外に出ていく様子。これは別料金なのかよーと慌てて財布から小銭を取りだして事なきをえましたが、いやー焦った。これってどこの神社でも同じなのかしら?
しかし驚きはまだ続く。
後はお札やら何やらいただいて帰るだけねー、と油断したところに聞こえてきたのはチャリーンチャリーンというお賽銭を投げる音。あぁ、通常参拝の人たちの音が聞こえてきてるのかー。位置関係がわかんないなー


…違う。まだお賽銭いるんだ。


嘘でしょーと叫びたくても叫べる状況でもないので再び財布登場。結局6箇所くらいにお賽銭投げたのかな。それぞれ意味があったんだろうけど、わかんないから全部に「とりあえず今年一年無事に過ごさせてください」とお願いしてきました。必死だな、私。

やっとのことで本殿の外に出て、お札などの受取所へ。ここでも特に案内はされなかったので、卓上に並んでいるものを見たらそれぞれに名前が書いてあったので自分の名前を探す、探す…ん?あ、あった。

…字、上手い!

私の名前って別に難しい漢字を使っているわけでもないのですが、名字と名前の画数のバランスが偏っているので、小学生の頃の書き初め(だけじゃなくお習字習ってたのでその時にも)では苦労しましたよ。名前の主張が激しくて!そんな厄介な名前をそれはそれは綺麗な字で書いていただいていて、それだけでご利益がありそう。ご祝儀袋とかに名前書く時のお手本にしたいわー。
何だかお札以外にも色々あるのでごっそり抱えて別のテーブルに用意されていた包装紙と紙袋におさめて全行程終了。

それでそのまま帰っても良かったんですが、先日時速30キロで走行中の車とぶつかった母方の祖母(現在入院してリハビリ中)のためにお守りが欲しかったので境内をウロウロ。結局めちゃくちゃ遠回りして(そんなに広い境内でもないのに)売り場(って言い方でいいのかな)に到着。わかりやすく「健康祈願!」てな趣のお守りが見当たらず、巫女さんの前を右往左往。ようやく見つけたのが「身体健康・交通安全御守」…神様、じゃなくて狐様、冗談キツいです。しかしそれ以外に適当なのも見つからなかったのでその皮肉としか思えないようなお守りをいただいてきました。2月に帰省してお見舞いに行くのでその時に渡してこよう。関西人のおばあちゃんなので、笑って済ませてくれるでしょう。


去年あった色々なゴタゴタの中でも、この祖母の事故が一番堪えましたよ…。仕事のことなら会社のせいにできるし(苦笑)、簿記の試験に2回続けて落ちたのはそりゃもう自分が悪い。だけど祖母の事故は本当にビックリしたし、心配だった。母方の祖母には小さい頃に面倒を見てもらっていて、ある意味育ての親みたいなものなので、いつか必ずやってくる別れが本当に怖いんですよ。想像しただけで泣けてくるくらいに。だけど太ってるせいで足が悪い以外は至って健康な祖母の身にすぐさま何かあるとは思えなくて、一言で言っちゃえば油断してたんですよね。まだまだおばあちゃん孝行をする時間はあるって。だけど、人がいなくなっちゃう原因って病気だけじゃないからね。幸いにも今まで身内で交通事故に遭った人がいなかったからうっかりしてた。今回の祖母の事故もあと少し怪我の位置がずれたり、程度が酷かったりしたら亡くなっててもおかしくなかったらしい。だけど不幸中の幸いで、事故後2週間ほど経った今の時点でもうリハビリをやれるまでになっています。怪我の場所が場所なので車椅子か歩行器の助けを借りる生活になる可能性は大いに残っているけど。もしそうなったら今の祖母宅にはそのまま住めません。バリアフリー工事ってやつが必ず必要になります。その時には金銭的に協力する、と母に伝えてあります。伯父が同居しているものの、アルバイトしかしていない伯父にそのお金が出せるとは思えません。母は「お兄ちゃん(伯父のことです)がいるんだからアンタが出すことない」と言って一度は止められたけど、私が「伯父ちゃんのために出すんじゃない。おばあちゃんのために出すの」と断言したら「そりゃそうだわね」と納得してくれました。あれだけお世話になった祖母のためなら、それくらいは当たり前だと思ってる。


何か、最後は厄除けと関係ない話になってしまいましたが、そんなこんなで厄除け祈願を初体験してきました。来年・再来年とまた出費がかさむなー(おいおい)
今まで殆ど関心を持っていなかった厄除けとやらを急に気にしだしたのは、やっぱり不安だったからです。30歳を過ぎたあたりから周りで起こることが悪い方にばかり転んで、本当に運が悪い、タイミングが悪いとしか言いようのないことが続いて、挙句の果てに身内でも事が起きて、やってくる新しい年が不安で仕方なかったのです。そうしたら平成23年が前厄だって言うじゃないですか!もう何だよそれ、勘弁してくれよ…とも思いましたが、じゃあこうなったら神頼みでも何でもして、とりあえずの心の平安を得よう。何もしなくてまた何かあったら絶対に後悔するから、やることはやっておこう、とそう思ったのです。気休めでも何でもいいんです。わけのわからない不運にはわけのわからない(コラ)手段で対抗しよう、とそういうわけです。


…でもまぁ年始に痛い出費ですよね(まだ言うか)