ツアーのこと

いつまでも引きずっているのもアレなので、ここに吐き出して一旦キリにします。


今回のツアーは、一部公演が中止になりました。延期ではなく、中止。
原因は言うまでもなく東日本大震災です。ツアーのスタート時点では1ヶ月も経っていなかったし、仕方のないことだったと、さすがにそれは理解して納得しています。

でも。
各地で追加公演が決まってそれが発表になるたびに頭の中に湧き上がる「何故?」という疑問はどうにも解消されない。
何故、振替公演はないんだろう?何故、予定通り公演があったところでまたやるんだろう?なんで?なんで?って。


それが自分勝手な思いから発された疑問であることは充分にわかっている。自分が行けないから、だからそう思うんだということも。


当初、ツアー日程が発表された時、確実に行ける日曜日の公演に絞ったのは私の判断だし、平日の東京公演をあっさり諦めたのも私が決めたこと。追加公演が東京であっても月初だと行けないっていうのは私の勝手な事情。
だから仕方ないし、恨み言を言うのは間違ってるんだけど。


でもね。福岡から始まるツアー日程に書き換えられた公演スケジュールを見る度に悲しくなる。あれだけ楽しみにしていた市原公演や宇都宮公演がまるで無かったことにされているようで。チケットを手にすることもなく、クレジットカードの利用明細に書かれた金額のプラスマイナスだけがチケット購入・払い戻しの事実を示している、そんな状況が悲しい。4/2に市原で、4/9に宇都宮で吉井さんのライブが行われるはずで、そのチケットを手にするはずだったという事実があまりにも儚くて、どこにも証がなくて、それが本当に本当に悲しいし、悔しい。


このツアーでの吉井さんが見たかった。
中止になった公演があることを、振替公演もなく無効になったチケットがあることを、その事実をなかったことにしないで欲しい。追加公演がいくつ決まっても、その穴は埋まらない。
悔しいから、あんまりにも悔しいから、逆に吉井さんのツアーをなかったことにしてやろうかとさえ思っている。


でも、母が楽しみにしている名古屋公演はこの先何事もなければ開催されるわけで、そうなると今月末にはチケットを発券して送ってあげなきゃいけないわけで。


…なかったことになんてできやしないのです。悲しいことに。

節目の日に

…このカテゴリでいいのかな。まぁ、とりあえず。


では、改めて。
中田くん、お誕生日おめでとう。30歳、だね。本当におめでとう。


去年の今日、私はこんなことを書いていました。

『だから中田くん。できるだけ長く「椿屋四重奏中田裕二」であり続けてください。35歳の貴方が、40歳の貴方がたかしげとりょうちんと一緒にステージに立っているならば36歳、41歳の私はそれを見にいきます。絶対に。』


まさか1年後にこんなことになってるなんて思いもしなかった。
中田くんを説明する言葉が、「ex.椿屋四重奏」とか「元椿屋」になってるなんて。
たかしげが故郷の熊本で新しい人生を送るようになっているなんて。

椿屋の解散と同じ日に吉井さんのツアー日程が発表になって、そこに熊本の字を見つけた時、そしてそれが4/17だと気付いた時、無責任にこんなことを思ったんだ。
30歳になるその日に、故郷で吉井さんのライブを見てくればいいよ。それくらいはゆっくりしてても待つよ、って。


でもそれから2ヶ月経って、状況が激変してしまった。
中田くんは30歳になる日を塩釜で迎える。東日本大震災の被災地のひとつである塩釜で。


最低でも半年は待つつもりでいた中田くんのソロ活動がこういった形で急遽現実のものとなったことについて、正直なところを言えば気持ちはゴチャゴチャと混乱しています。嬉しいけど、喜べない。その他にもあれこれ色々と。


でも、これだけは確かに言える。
中田くんの声に出会えて良かった。椿屋四重奏と共に過ごすことができて良かった。
そしてこれからも。その声を、歌を届けてください。聞かせてください。椿屋四重奏の分まで有名になってもらわなきゃ困るんだから!(笑)


おめでとう。ありがとう。これからも。

2011/3/17 YANCY SINGS AND PLAYS@自由が丘 MARDI GRAS

3月11日の地震を境にして、直接の被災地ではない東京の生活も確かに変わってしまった。毎日繰り返す余震、計画停電、それに伴う交通ダイヤの乱れ…。昨日まで当たり前だったことが当たり前でなくなっていく日々。そんな中でも私の住んでいる地域、働いている地域ともに割と影響が少なかったおかげで通勤やその他の移動の不安は早々に解消されていた。だから、17日のこのライブにも予定通り行くつもりでいた。

だけど。


夕方に発表された「大規模停電の恐れあり」とのニュース。停電してしまえばさすがに地下鉄も止まってしまう!と諦めて帰ろうとした私の目に飛び込んできたのは、改札内にすら入れずに足止めされている大勢の人たち。
どうするかなぁ…あれじゃ乗れても大混雑だ…とあれこれ考えながらJR新宿駅に行くとそこにはさっきの数倍の人だかり。
その後さらにウロウロしてウムムと考えて、結局は自由が丘へ向かうことに。結果、100パーセント住宅地な自宅に向かうよりもよっぽどスムーズに移動できた。


そんなこんなで会場に到着。20人も入ればいっぱいになってしまいそうな、こじんまりとしたお店。…の片隅にピアノとドラムが。…で、私の席あそこ!?
外の寒さに加えて案内された席の(良い意味で)あまりにもあんまりな位置に震えながら着席。しばし待つ。頼んだ飲み物をチビチビ飲みながら待つ。


りょ、りょうちん…!近い…!
わー!YANCYさん!こんなに近くでいいんですか!


もう、近すぎて直視できないくらいの距離。顔を見てたら目が合ってしまう(気がする)から手元ばっかり見てた。ま、YANCYさんはほぼ背中しか見えてなかったんですが。でも話をするために体の向きを変えたり、立ち上がったりした時にはもう…!(絶句)


そんな状態で舞い上がってしまっていたので、今となっては全てが夢の中の出来事のよう。いつ停電になるか、いつ余震が来るかわからないという不安の中にいたはずが、すっかり夢見心地になっていた。空っぽの棚が並ぶスーパーやコンビニ、改札前の人だかり、薄暗い街に少し滅入っていた気持ちがホワホワと温かいものに包まれて緊張を解いていた。地震からここまでのたった数日間で、周りの名前も知らない人たちのエゴや冷たさを見せられてしまった気がして、人嫌いになりかけてたところを踏み留まらせてくれた。
人間はあたたかい、音楽はあたたかい。


今回、初めてYANCYさんの歌声を聴いたのだけど、本っ当に美声。力強くて張りのある声で、だけど柔らかくて。椿屋の後ろで静かに微笑みながらキーボードを弾いている姿しか知らなかったので、その第一声を聴いた時には思わず驚きの声を漏らしそうになってしまった。
そしてりょうちんは相変わらずりょうちんでした。ニッコニコしながらそれはそれは楽しそうにお客さんを見回してて、そういうことされると私は顔を上げることすらままならなくなってしまうんですが…(近すぎて)でも嬉しかったなぁ。いつも笑顔でいるって結構大変だよね。だけどそれをできてしまうのがりょうちんで、そんなりょうちんに中田くんは救われていたと思うよ!と改めてその明るさと笑顔に感謝してみたり。いやぁ、あの笑顔は日本の宝ですよ…(突然話が大きくなってるぞ)


リハーサルが当日になってからしかできなかったらしく、りょうちんは頭がいっぱいいっぱいだったそうで。初めて聞く曲だよぉ〜なんて苦笑いしながらも、真剣な目付きでYANCYさんの手元を見つめながらリズムを乗せていく姿からは「うっかり」なんて形容とはほど遠い、ドラマー小寺良太の気合いをこれでもかと言うほどに感じた。そういえばYANCYさんも「今日は(りょうちんを)鍛えるつもりでいるから」なんて言ってたなぁ。…さすが中田くんの上を行くドS、かなりのスパルタ式でした(笑)


YANCYさんが地震の時の話をしてくれたんですが、「子どもと奥さんと、あと猫を連れて」と話すのを聞いた途端に「ねーこもーつれていーこうー」と脳内に「楽園」が流れ出すってどうなんですか(苦笑)
ま、そんなしょうもない私のことは置いておいて。その猫ちゃんがゲージに入るのを嫌がって必死に抵抗してたっていうのを身ぶりを交えて話してて、しかもりょうちんも「こうやって?」とか言って真似してるのとか…和むわぁ(笑)

ライブの前には石巻在住のお友達の話もしてくれて。地震翌日にお友達から届いた写メがすんごい笑顔の写真だったんですって。それ、凄い話だよなぁ。普通の何事もない生活の中でもつい笑顔を忘れてしまうのに、そんな大変な状況の中で笑顔の写真を友達に届けられるっていうのがね。どんな言葉よりも強く確実に「大丈夫だよ」ってことを伝えられる手段だよなぁ…なんてことを思ったりした。
笑顔って大事だな。


何かまとまらなくなりそうなので無理矢理〆に入りますが、ピアノとドラムの珍しいコンビ(本人たちは「漫才みたい…」なんて言ってましたが)でのライブは本当に本当に温かくて優しくて自然と笑顔になれた。ギューッと縮こまっていた気持ちが解放された。またの機会を用意してもらえることを期待して、でもその時には今回行けなかった方にこそ行って欲しいなぁなんて思いつつ、次を楽しみにしていよう。


どんなライブだったか全然伝えられてないけれど、とにかく「あたたかい」ライブであったことだけは伝わるといいなぁ(…と他力本願に終わる)

2週間経った

困ったことになっている。
椿屋四重奏が解散を発表してから2週間、哀しくて寂しくて仕方がないのだ。
今さら。本当に今さらだけど。


解散発表の直後にやけにあっさりとした気持ちで「ありがとう、バイバーイ!」なんて書いていた、あの気持ちも決して強がりや嘘ではなかったのだ。だけど、そこがゴールではなかった。それが結論ではなかった。ただそれだけのことなのに、こんなにも気持ちが揺さぶられて、正直辛い。


何が転換点となったのか、思い当たることはいくつかある。
日曜日に手島さんのライブを見たこと、アンドリューラストライブのDVDを見たこと、そしてたかしげが新たな顔を見せてくれたこと。それ自体は哀しくもなければ辛くなるようなことでもないのに、結果として今、哀しくて寂しいのだ。


椿屋四重奏は長い付き合いの友人のようだ、と書いた。とすれば、手島さんは友達の友達といったところの存在なわけで。いずれは直接の友達になれるかな…というタイミングで間に立っていた共通の友人がふいと姿を消してしまった。
だけど今さら赤の他人にも戻れなくて、一人で会いに行ってみたら、これまで見たことのない顔して笑って喋っている「友達の友達」がいたような、そんな状況。その場はその場で楽しいんだけど、そこには共通の友人の気配すら感じられなくて、それはその場では当たり前のことなんだけど、でもそれが寂しく感じられてしまう、そんな我儘。友達の友達には、ちゃんと別の世界があった。それを思い知らされてしまった。初めてを楽しいと感じたその裏側で。


仙台サンライズの後、最高に満たされた気持ちになりながらも心に引っかかることがあった。何故か去年の春に見たあるライブと似たものを感じてしまったのだ。Fox loco phantomの元ドラマー、アンドリューのラストライブで感じた「やりきった感」と非常に似たものを感じてしまったのだ。アンドリューはそのライブを最後にドラマーとしての人生を終わりにした。そんな彼を送り出すそのライブは本当に素晴らしくて、変に感傷的になることもなくて、いつも通り、いつも以上の熱と勢いに満ちたライブだった。それと似ている、そう思ってしまったことに戸惑っていた。椿屋からは誰も脱退しないし、音楽から離れる人だっていない、そう思っていたかったから。中野サンプラザで中田くんがたかしげに抱き付いた理由を考える時にも同じ戸惑いがついて回った。そんなわけない、そうする理由もないし、と思考を中断することで戸惑いを断ち切っていた。
でも、たかしげは音楽から離れることを決意していた。仙台サンライズが最後のライブだった。しかもたかしげにとっての最後であるだけではなくて、椿屋四重奏としても最後のライブだった。
戸惑いが現実になった、その驚きと「ああ、だからか」という哀しい理解を、まざまざと思い出してしまったのだ。去年見た、あの最高のライブを画面越しに再体験して。


更にタイミング悪く(と言ってしまうけど)たかしげが新たな顔を見せてくれていた。見慣れた長髪と髭のない、スッキリとした顔を。たかしげだけど、たかしげじゃない。反射的にそう感じてしまって、気が付いたらボロボロと泣いていた。若く見えるなぁ、可愛らしいなぁなんてニヤニヤしながら泣いていた。


中田くんだけが未だに「その後」の姿を見せていないことも、もちろん寂しさの一因にはなっている。だけどまだたったの2週間だ。むしろたかしげやりょうちんのフットワークの軽さを驚くべきなんだろう。でも、と思ってしまった。そう思ってしまったが最後、まるで数年前のように中田くんのことが心配で不安で堪らなくなってしまった。10年間の全てをかけていたバンドを終わらせた今、何を思ってどう過ごしているのか。考えたってわかるわけないし、わかったからってどうなるものでもない。そうわかっているのに止められなかった。「ドSゆうじの最後の悪だくみ」だ、とバカバカしい結論をとりあえずでっち上げるまでは。


だけど、それも所詮は気休めに過ぎなくて、私は今、とても哀しくて寂しいのだ。
椿屋四重奏が解散してしまったことは受け入れている。だけど、哀しい。哀しくて、寂しい。


2週間も経ってからこんな気持ちになるなんて思ってもみなかった。2週間前の妙な冷静さが今となっては恨めしい。


だけどこれもまた、本当の気持ちなのだ。
友人に突然去られてからしばらく経って、やっとその不在が呼び起こす哀しさと寂しさに直面しているのだ。
「バイバイ」と書かれたメモを読み返して、もう二度とその友人には会えないことを思い知らされているのだ。


…どこに、行っちゃったのかな。


今はそんな風に思っている。それを何処かに記録しておきたくてここに書いている。今さら、と思いながら書いている。

ライブレポまとめ

このブログを始めたきっかけは椿屋四重奏でした。九段心中を前にして、椿屋四重奏で繋がる関係がそろそろ欲しいなぁなんて思ったのが始まりでした。大学生の頃に細々とイエローモンキーのファンサイトをやっていて、その時もコンテンツの1つとしてウェブ日記を書いていました。そこを通じての出会いもいくつかあって、数人の方とは実際にお会いすることもできました。同じバンドを好きな人と、思う存分そのバンドの話をする楽しさをまた味わってみたかったのです。文字だけのやり取りでも、声に出してのやり取りでも。
そんなこんなでこのブログも約5年半続けてきました。椿屋のことに限らず、その時々の自分の思いや読んだ本のこと、見た映画のこと、そして何よりも音楽のこと。私という人間のありとあらゆることがここには積み重なっています。だから、ここは今まで通り続けていきます。当初と比べると更新スピードは格段に落ちていますが、それでも残します。時々は更新します。私を形作るマテリアルが何なのか、それを後々振り返るのにこんなに適したものはないと思うから、だから完全な自己満足ブログではありますが引き続きお付き合いいただけると幸いです。

前置きが長くなりましたが、そろそろ本題へ。5年半も続けてきたブログですので、それなりにネタは溜まっています。それをこの機会に整理しておこうかな、という企みの第1弾です。最近、そして今から椿屋四重奏に出会った(出会う)方の想像力の一助になればと思っています。もちろん、同じ場所で同じ時を過ごした方と思いを共有できることも期待しています。

ではでは。ブログ開設以前はもちろん、最近でもいくつか抜けがありますが、それはご容赦ください。
あ、ちなみに「中1」は「中田裕二ソロ1」の略です。

続きを読む

解散

ずっと付かず離れずの距離を保ったまま一緒に歩いてきたはずが、ハッと気付いたらいなくなってて、慌てて振り返ったら半歩後ろに「バイバイ」って書かれたメモだけが残されてたような、そんな感覚。そのメモを拾い上げてオロオロ泣いてる、それが今の状態。


夜中3時のこのツイートが、私の想いの全て。


椿屋四重奏は私の一部でした。私の日常の大切なマテリアルでした。
いつも傍にいて、一緒に歳を重ねて進んでいける、長い付き合いの友人のような存在でした。


そんな友人が突然いなくなりました。さりげなく、呆気なく、そして潔く。一方的に別れの言葉を残して。
驚きのあまり泣いてしまったけど、恨み言を言いそうにもなったけど、気持ちが落ち着いてきた今、かけがえのない友人に伝えたい言葉はただ一つしかない。


ありがとう。


ただ、それだけ。


ありがとう、椿屋四重奏
バイバーイ!

中野と仙台

初めにお断りしておきますが、ライブレポではありません。ライブの感想ですらありません。ライブを見て思ったこと、感じたこと、考えたことをただダラダラと書き連ねているだけです。そして無駄に長いです。中の人が現実逃避のために暴走しました。すみません。

久々に追記記法とか使ってみる。携帯から見ている方には意味ないけど。…えいっ!

続きを読む